おしごとデザイン研究所

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与えられるものとしての矢印

随分と間が空いてしまいました。今日は少し手前味噌な話が混ざります。業務フローのフローを表現している矢印についてです。

誰でも気軽に手軽に業務フローを描けますというのが、マジカ!のセールスポイントになっています。そして実際に、非常に多くのケースで「これなら書ける!」という声も頂いてますし、その通りの実績も出ています。

さて、これなら書けるというのは逆に言うと「あれでは書けない」になると思うのです。その「これなら」のこれというのはマジカ!であるのは間違いないのですが、ではこれじゃないもの即ち「あれ」とは何なのでしょうか。「あれ」とは従来の、あるいはマジカ!以外の業務フローの書き方・表記法ということになります。

ではマジカ!とマジカ!以外では一体何が異なるのか。実は矢印の有無にこそ鍵があります。

業務フローのサンプルを見れば、まず間違いなく矢印が書いてあります。当然といえば当然です。流れを示すのに矢印は最適な表現方法です。ところがマジカ!ではその矢印がありません。漫画のコマ割りのようにあくまでもカードの並び順でそれを連想させるだけであり、補強する場合には各カードに連番を振ることで対処しています。

この「矢印がない」ということが、マジカ!を業務フローに関心・興味の無い普通の方でも身近に感じられるようになる肝なのです。

でもどうして「矢印がない」と「これなら書ける」となるのでしょうか。逆に言うと、どうして「矢印がある」と書けないのでしょうか。

実は矢印を引く・書くという行為は、日常的にはあまりというか滅多にやるものではありません。日常的に矢印というものはあちこちで目に入ってくるものです。道路標識から始まって、お店の中の各種案内、端的に言えばデパートの中でトイレを探すときにはその標識の矢印に沿って行動しています。

…そうです、日常において矢印というのは「ある」ものであって「書く」ものではないのです。予め書かれている矢印に従うものであって、自分が書くというのは例えばバザーやイベントなどをやって入り口はこちらですとかというように、案内する必要があるときに書くくらいのことであり、それはつまりハレとケでいうとハレ、お祭りのものなのです。つまり、矢印というのは自分以外の誰かが書いて与えられるものであって、自分で書くものという感覚からは程遠いのですね。

一方でマジカ!は見慣れた4コマ漫画の体裁を援用しています。そして誰しもちょっとしたコマ漫画的なものであれば小さい頃に書いたりしたこともあるでしょうし、コマを書かなくてもノートや教科書の端にパラパラ漫画を書いたことはあるかもしれません。このとき「流れ」は矢印ではなくて物理的な並び順で表現されています。矢印が無くても流れを把握できているということです。

# 最近の日本の漫画はコマ割りが高度になりすぎて、リテラシが無いと読めない状態になっていて、小さな子供が漫画離れしつつあるという話もあるのですが、ここでは割愛します。

フローというのを矢印ではなく時間の流れ、ストリーム的なものだと考えれば、音楽や小説や映画なども矢印など無くても一定方向に流れが作られていることが理解できます。そして業務フローもまた時間の流れに沿った仕事の順序を表現しているのですから、その流れがわかりさえすれば矢印でなければならないというものではないということも腑に落ちるのです。

この矢印の有無というのは、ここ5年ほど色々と考えさせられているテーマのひとつなのですが、ためらいなく紙にすらすらっと矢印を引くことが出来るというのは、実は何気ないながらも非常に高度なスキルなのかもしれないと感じたりする次第です。